2014年4月10日
片岡 洋 (株式会社セガ 第二研究開発本部 本部長)
かたおか ひろし◎1967年生まれ。1991年 に株式会社セガ・エンタープライゼス (現:株式会社セガ)に入社。 アーケードゲームを中心に開発に携わる。代表作は『ファイティングパイパーズ』、『ソニック・ザ・ファイターズ』、『ファイターズメガ ミック ス』、『アウトトリガー』など。 株式会社 SEGA-AM2 代表取締役社長を経て、現在は株式会社セガ 上席CO 兼 第二研究開発本部 本部長を務める。
―― バーチャファイターに関わられたきっかけについて教えてください
片岡洋(以下、片岡) 初代VFの頃の私はまだ新人でVFチームのスタッフではありませんでしたが、VF開発の最後の頃はAM2研が総掛かりでとりかかっていたので、私もロケテストの手伝いなどをしていました。全く新しい遊びが生まれる瞬間を目撃してとても興奮したのを憶えています。 正式に開発に関わるようになったのはVF4からです。鈴木裕さんがシェンムーで忙しくなりVFシリーズから少し離れた頃だったので、半ばバトンを受け取るような形でプロジェクトに入りました。 VFシリーズは常に技術的なブレイクスルーで進化してきたゲームなので、VF4ではアーケードゲーム初の携帯電話と連動したオンラインサービスに挑戦しました。それまでのVFシリーズはCG(コンピューターグラフィックス)技術のブレイクスルーと共に進化してきたのですが、当時3DCGが家庭用ゲーム機でもあたりまえの時代になっていたので、別のアプローチを選んだのです。大変なことばかりでしたが、セガ社内の様々な部署の支えもあって実現することができたのを覚えてきます。あのプロジェクトはまさに「セガらしさ」に溢れていました。 余談ですが、VF2の頃の私は「Fighthing Vipers(※1)」を作っていたのでVFチームとはちょっと距離を置いていました。VFが王道の格闘技をストレートに作っている横で「似てるけど違う」ゲームを作るのは正直しんどかったです。格闘ゲームのカウンターカルチャーのような「バイパーズ」のイニシャルが「VF」をひっくり返した「FV」になっているのは、そういう想いが込められていたりします。
―― 「社会現象」とまで言われたタイトルを開発者としてどう見守っていらっしゃったのでしょうか?
片岡 VF2の時に起こったことを今振り返ると、「ゲームの主役が機械から人になった」のだと思います。アキラやジャッキーが主役ではなく、VFのプレイヤーが主役になって起きたムーブメントは、ゲームと人が向き合うのではなく、人と人が向き合うことで生まれた熱いドラマでした。今ではゲームがコミュニケーションの橋渡しになることはあたりまえですが、そういった文化が生まれたのがあの時代だったのだと思います。 また、メディアで有名プレイヤーや開発者が取り上げられるようになったことで、ゲームを作ったりメディアに伝えたりする仕事を目指す人も増えたのではないでしょうか。そんな時代の変わり目を肌で感じていました。
―― バーチャファイターを見ていて、 もっとも衝撃的だったことを一つ挙げるとしたら何でしょうか?
片岡 初代VFのプロトタイプ「バーチャルファイターズ」がCGワークステーション上で動いているのを見た時のことは忘れられません。ビジュアルは四角い箱の人形なのに、リアルタイムでアニメーションさせると途端に生きているように見えることにすごい衝撃を受けました。パンチとキック、投げが2種類くらいしかないのに夜中まで遊んでいたことを憶えています。