Virtua Fighter 20th Anniversary 1993-2013

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インタビュー

2013年12月19日

プロフィール

中村 悠一 (声優)

なかむら ゆういち◎声優。シグマ・セブン所属。1980年2月20日生まれ。香川県出身。2001年『電脳冒険記ウェブダイバー』のグリフィオン、ライガオン役でデビュー。 主な出演作品…「マクロスF」(早乙女アルト役)、「機動戦士ガンダム00」(グラハム・エーカー役)、「おおきく振りかぶって」(阿部隆也役)、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(高坂京介役)、「デュラララ!!」(門田京平役)ほか。

 
2D格ゲーで培った常識が
すべて覆りました

――    『バーチャファイター』に関する思い出はありますか?

中村悠一(以下、中村)    テレビゲームっていうのは、友達と交代しながら遊んだりっていう意識が強かったんですけど、格ゲーをはじめて、対戦するっていう価値観が生まれましたね。ストⅡ(『ストリートファイターⅡ(※1)』・カプコン)とか『餓狼伝説(※2)』(SNK)が好きで、ちょうど世間的にも格闘技が注目されだした頃でした。多種多様な2Dの格ゲーが出てきたなかで、何気なく入ったゲーセンで『バーチャファイター』があったんですよ。こういう言い方すると失礼かもしれないけど、「四角の塊で見た目しょぼいじゃないか」「これをやるのか?」と思いました。最初は人がやっているのを見ていたんですけど、動いたら2Dのゲームに比べて動きがすごくスピーディで。1秒あたり30フレームで表現されているからなめらかだし、「これ、ひょっとしてすごいヤツなんじゃないかな」と思ってプレイしたのが初めてでした。しかも、いきなり対戦。

――    初プレイが対戦ですか。やってみた感触はどうでしたか?

中村    それまでやってきた2D格ゲーの常識がすべて覆りました。ジャンプキックは不利だとか、飛び込みってないんだとか、「削る」っていう要素がないから技を良いところで使わないとダメなんだ、といった感じで。でも、当時は中学生でお金もないので、足しげく通うっていうのができなかったんです。そんな中、やっとサターン(『セガサターン』)で出るっていうことになって。プレステ(『プレイステーション』・ソニー)とサターンどっち買うのって友達みんなが悩んでいる時に、バーチャやりたいからサターンを買いまして。

――    購入ハードを決定づけたのが『バーチャファイター』だったんですね。

中村    ネオジオ(SNK)は別として、アーケードとほぼ変わらないものを家庭用でできるようになったのってはじめてだと思うんですよ。バーチャは僕が見た中ではじめて「まんまだなあ」と思って。その感動をみんなに見せたかったんでしょうね、何を思ったかビデオテープにプレイしているところを録画して「すごくない? バーチャファイターすごくない?」って言って、学校で流していました(笑)。

 
最初に使ったキャラはジャッキー
ただのパンチの技名まで覚えてた

――    セガサターンで『バーチャファイター』が登場(1994年11月)して、ほどなくしてアーケードには『バーチャファイター2』が登場(1994年12月)するわけですが。

中村    自転車で1時間くらい行ったところのゲーセンに『2』が入ったという噂を聞いて行ったら『メガロ筐体』(50インチモニター、横並びでの対戦が特徴の大型筐体)が設置されていて。しかもみんなに見られるようなゲーセンの入口付近に置いてあったから、そこで初プレイはイヤだなあと思って、近くにあった普通の筐体で遊んだのを覚えています。シリーズ通しても『1』から『2』への進化が一番びっくりしましたね。ゲームに夢中になっていろいろと調べるようにもなりました。当時はネットで調べたりっていうのもなかったので、『バーチャファイターマニアックス』(アスペクト刊)を『1』と『2』買ってきて、あれで「2フレーム有利だ」とか知って。2フレームで何ができるのか知らないですけど(笑)。多分、まだ実家にあるんですけど、ヨレヨレです。どれだけ読んでもおもしろくて、「その知識なんの役にたつの?」って言われたらそれまでですけど、「ストレート・リード」(ジャッキー、サラのパンチ)とか、ただのパンチの技名とかまで覚えてましたから。あとで何かの取材記事で「ただのパンチに名前つけるのが一番大変でした」っていうのを見て、それもおもしろかったですね。

――    キャラクターは何を使われていましたか?

中村    『1』の最初はジャッキーを使っていました。でも、ずっとジャッキーを使って、友達がずっとサラを使っていたら同じ対戦ばかりになってしまって、飽きるなと思っていろいろ使ううちに、ひと通り使えるようになりましたね。ただ、新シリーズになって最初に使うのは、いつもジャッキーです。

――    好きな技とかはありますか?

中村    僕はもう、『1』の時に猛威をふるった「ダッシュハンマーキック」ですね。『1』の時は受け身もないから、当たれば追い打ちも確定、ガードされてもギリギリの距離で当てれば反撃を喰らわないっていう、ものすごい強さでしたね。その後のシリーズではさすがに反撃もされるようになりましたけど。

――    公式大会にも参加されたことがあると伺ったのですが。

中村    『3』の時に一度だけ。香川県の高松で出て、予選は突破したんですけど、その後の大会が遠征しなければいけなくて、高校生だったということもあって断念したんですよね。その時の大会(『King of Virtua Fighter 3 JAVA TEA バトル甲子園』)で優勝したのが鷹嵐(プレイヤーは栗田)で、当時は鷹嵐は弱キャラというイメージをみんな持っていたから衝撃でした。

(20周年を迎えた『バーチャファイター』へのメッセージ)
改めて20年という時代の流れと、当時バーチャに対して勤勉だった自分を思い出すと、こんなにトークが続くんだということに驚いています。それだけのものを僕の中に残してきたゲームなんだなと強く思いました。思い返すと、中学とか高校の授業で、将来的にやりたい仕事を聞かれた時に、選択肢のひとつに「ファミ通の編集部に入る」っていうのがあったんですけど、それもバーチャがすごい好きだったから。『バーチャファイターマニアックス』とかを読んで、「ゲームをやりこんで仕事になるんだ、こんな本を作る会社なんだ、ここで働きたい」と思って。『バーチャファイター』は、セガさんが思っている以上にいろんな影響を与えていると、僕はそう思います。今後にも期待しています。
(注釈)
※1 1991年に稼動開始の2D対戦型格闘ゲーム
※2 1991年に稼動開始の2D対戦型格闘ゲーム
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