2014年2月6日
小野 義徳 (株式会社カプコン)
おの よしのり◎1994年カプコン入社。『ストリートファイターZERO』シリーズでサウンドを担当、『ストリートファイターⅢ』シリーズではサウンドマネージャー、サウンドプロデューサーを務め、『ストリートファイターⅣ』シリーズにてプロデューサーを務める。他、 プロデューサーとしてかかわった作品は『シャドウ・オブ・ローマ』『新鬼武者 Dawn of Dreams』『モンスターハンター フロンティア』など。
―― カプコン入社当初はサウンド担当をされていたと思いますが、どのような経緯で現在の立ち位置になったのでしょうか。
小野義徳(以下、小野) 20年前にカプコンへ入社して、社内をウロウロしているうちに、いつの間にかこのポジションになっていました。「カプコンへ行きたいっ!」と、決めたのも『ストⅠ』(『ストリートファイター』)、『ストⅡ』(『ストリートファイターⅡ』)、『ファイナルファイト』とプレイをしてきて、それに携わりたいという気持ちからだったので、ある意味、会社には願いを叶えて貰っているっていう感じですかね。
―― 『バーチャファイター』を初めて見たときの印象を教えてください。
小野 テクノロジーの進化をベンチマークするに価するタイトルだと思います。当時、私が所属していた部署の隣に、カプコンの新アーケード基盤を開発している部署があって、CPS3のラインとは別に、もう一つ新基盤開発ラインがあったんですね。そこには、セガさんのタイトルが並んでいて、隣の部署のスタッフは必死で研究していたのですが、僕は完全にフリープレイ状態だった『バーチャファイター』をセコセコと夜にやっていた……っていうズルい環境でプレイをしていました。そんなプレイ環境でしたが、『バーチャファイター』の「生々」しい感じ、「ウソ」っぽくない感じ、「その場」を感じる動きには、「セガってすげぇ~なぁ~」という衝撃を受けた記憶が今でもハッキリと思い出せます。
―― かなりプレイされていたのですね。プレイしているなかで感じたことはありましたか?
小野 技を組み立てる、という格闘「技」という文字通りのプレイスタイルを踏襲している所は、『バーチャファイター』の趣の深さであり、格闘ゲームという世界の中でも他のタイトルに埋もれることなく金字塔を築きあげたといっても過言ではないと思います。カプコンタイトルに往々としてあるキャンセルという考え方に基づいたコンボの組み立て方ではなく、「技」から動き、そしてその動きからの「技」へという「流れ」が、『バーチャファイター』の根底にあったと思います。「カプコンゲー」と同じスタイルでバシバシ入力しても、「バーチャ勢」と呼ばれていた方にはまったく歯が立たず、根幹からゲームへのプレイスタイルを考えなければならないなぁ~と、夜な夜な会社のフリープレイで考査していたものです。同僚に多くのバーチャプレイヤーが居たので、練習相手にも恵まれていたかも知れませんね。ただ、最初はフリープレイの恩恵があったものの、シリーズが重ねられていくごとに、細かなバージョンアップへの研究に対する投資時間が足りず、次第に筐体の後ろに立ってウンチクだけを言っているおっさんになっていきました……。
―― 『バーチャファイター』との印象深い思い出がありましたら教えてください。
小野 キャラクター名とスター選手名が重なったプレイヤーネームが多く登場したタイトルは、『バーチャファイター』が初ではないでしょうか。地名と、キャラ名、技名などが、プレイヤーネームとして日本中に知れ渡るのも、このタイトルの浸透速度と、当時のバーチャプレイヤー間の「人」ネットワークの繋がりの強さを感じました。
―― 『ストリートファイター』シリーズにかかわられていますが、2Dと3Dという違いはあるものの、同じ格闘ゲームとして『バーチャファイター』を意識する部分はありますか?
小野 格闘ゲームの最後の勝ち負けは「読み合い」だと思うんですね。いや、格闘ゲームと言わずとも、対戦モノはすべてですね。カードにしても、ボードゲームにしても。そこに、いかにプレイヤーの個性が入り込める「技量」の差が、「開発者の提供したキャラクター行動に反映できるか?」が、対戦ツールとしての継続性の長短を左右すると思っています。その点においては、『バーチャファイター』の「技」から「技」への流れの多様性と自由度は、プレイヤーの「技量」と、「読み合い」を駆使しなければならない「操作」として非常に見習わなければならない部分だと思っています。ただ、それをそのまま入れ込んでも「カプコンゲー」にはならないので、良いところをうまく拝借させて……(笑)、見習わせて頂きます!