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インタビュー

2014年3月12日

プロフィール

大塚ギチ (トウキョウヘッド19931995』著者)

おおつか ぎち◎1974年生まれ。編集者、デザイナー、ライター。雑誌編集者を経て、アーケードゲーム『バーチャファイター』のムーヴメントを綴ったドキュメント『トウキョウヘッド19931995』を刊行。以後、ゲーム、アニメーションを中心に活動。UNDERSELL ltd.代表。自主レーベル「bootleg! books」主催。代表作/『THE END OF ARCADIA』『TOKYOHEAD RE:MASTERED』。

 
熱を持っている同士が結びつく必然
そのくらいバーチャ業界は狭かった

――    『バーチャファイター』との出会いについて教えてください。

大塚ギチ(以下、大塚)    当時、ゲームの中古流通の仕事をしていたんですが、仕事帰りに当時住んでた地元駅前のセガ直営店で出会ったのが最初でした。当時は2D対戦格闘ブーム全盛期で、雨の後のタケノコのように新作が乱立していたんだけど、独自性という意味では横並びな印象を受けてました。そのなかで明らかに違うベクトルを向いていた『バーチャファイター』に強烈な刺激を受けたのを覚えています。それは3Dであるということもふくめてなんですが、仮にグラフィックデザイン面だけ見ても、オタク的なアプローチとは別なストイックな格好良さがありましたから。僕はもともと編集者になりたかったんですけど、中古流通の仕事をやっていることと、そうした『バーチャファイター』への思いを話したことで、たまたまゲーム誌の編集部に拾ってもらえることになって。コンシューマー向けの雑誌だったんですが、タイミングがいいことにセガサターン版『バーチャファイター』が発売される、ってことでいくつか記事をやらせていただきました。駆け出しの編集者としてはいいか悪いかはわからないんだけど、自分が当時最も興味のある対象を仕事にできたのは嬉しかったですし、そうしたタイミングが合致したのは結構大きな意味があって、その流れから「プレイヤーのノンフィクションをやらないか?」という話にも繋がりました。

――    『トウキョウヘッド19931995』を執筆するに至った経緯を教えてください。

大塚    去年『トウキョウヘッド19931995』の文庫版『TOKYOHEAD RE:MASTERED』を出して、そのあとがきにも書いたんですけど、新宿ジャッキーさんと一緒に伝説の攻略本『バーチャファイターマニアックス』(アスペクト刊)を作ったデザイナーさんがいて、彼が当時のシーン、というか、そこに集うプレイヤーたちに興味を持っていて。そこから企画が生まれて、書き手を探した結果、グルグル回って僕のところに話が来たんです。先方から提案してもらった企画と僕自身がやりたかったことはすぐに一致したし、一も二もなく、やることに決めました。ただ、僕自身が物書きとしてのキャリアがまるでない状態だったので、ノンフィクションの作法もわからず、苦労した記憶があるんですが、それを乗り越えざるを得ないくらい、シーン自体に熱があったし、なによりこの面白さを世に伝えたいという責任感が背中を押してくれたんだと思います。いま考えても奇特な本だと思うし、それが出せたのはプレイヤーたちと出版社と僕、っていう三者の熱量が一致したからだとも思うんですけど、熱を持っている同士が結びつくのが当然、ってくらい当時の『バーチャファイター』業界が狭かったってのもあるんですよね。

――    執筆当時、取材などで特に思い出に残っていることはありますか?

大塚    取材させてもらった、と言っても、実は当時は新宿ジャッキー、池袋サラ、柏ジェフリー、ブンブン丸といった四名の方にしか話を聞いてないんですよね。あとはまとめ取材のような形でプレイヤーさんたちに話を聞いただけで、取材回数だけで言えば5回、6回くらいしかしてないんです。いまだったら最低でも二桁くらいまでは取材しようと思うんですけど、シーンの規模もまだ小さかったし、関わっている人間がある程度、密集していたから、バーッと取材して一気に書いた、みたいなところがあったんだと思います。それくらいの濃密な時間だったんですよね。いま考えるとゲームシーン全体がそうなんですけど、当時は濃密かつ長い歴史に感じていたけど、実際はたかだか10年くらいの出来事じゃないですか。中身がものすごい密度で、濃厚だから勘違いしちゃいがちですけど、実際『トウキョウヘッド19931995』のなかで書かれてる年数なんてたかが2年分しかないですから。

――    『4』や『5』の稼働のほうが全然長いですよね。

大塚    猿が人に進化するくらい、ゲームの技術的な進化速度がすさまじい時代ではあったから、これもまた勘違いしがちなんですけど、冷静に考えると『1』から『3』がリリースされるまでってたかだか3年ですからね。「『2』が盛り上がった」とか「『3』は凄かった」と思ったとしても稼働年数だけで考えれば実際は『5』ほどやっていないわけですよね。『2』なんて2年に満たない稼働期間なわけで、にも関わらずあれだけの解析、攻略をしていたっていうのは当時のプレイヤーたちがいかの異常だったかってことですよね(笑)。そうした先人たちの異常さは、いまの『バーチャ』勢の解析能力の高さにも受け継がれていると僕は思っています。

――    解析攻略で知るフレームの重要性というのも、『バーチャファイター』からだったと思います。

大塚    『バーチャファイターマニアックス』以前にもフレーム攻略ってのはあったんですけど、フレームよりも感覚のほうが優先されていた節があって、攻略の精度って意味では決して高くはなかった。これは憶測なんですけど、あの本を作った渋谷洋一さんや新宿ジャッキーがそうした感覚的な攻略だけじゃ『バーチャファイター』は伝えられないと思ったからこそ、フレーム攻略を徹底して行ったんだと思います。フレーム攻略については『バーチャファイター』がもたらした功罪でもあるけれど、そういうこと含めて『バーチャファイター』がゲームシーンにもたらした影響はみんなが思っている以上に大きいと思いますよ。

 
『3』で離れたバーチャに出戻ったのは
ちび太の「格闘新世紀Ⅵ」優勝がキッカケ

――    『トウキョウヘッド19931995』執筆後の『バーチャファイター』との関わり方はどのような感じだったのでしょうか。

大塚    『バーチャファイター3』ってものとそれにまつわる当時のパブリシティが本当にイヤで(笑)。簡単に言うと「作り手が勘違いしちゃった」というふうに思ったんです。システム面については好き嫌い分かれるところですけど、アンジュレーション(高低差)やエスケープ・ボタンの存在ふくめて、シリーズ中最もピーキーなシステムですよね。それこそ「異端」と言ってもいいくらいの独創性があるし、それを支える技術面も凄いと思うんです。ただ、キャラクターデザインってことで言えば決してセンスは良くないし、CGのモデリングやカラーリングも微妙にダサい(笑)。『1』や『2』にあったストイックさが消え失せて、いなたい方向にシフトしていったのを見て、当時の僕は「作り手側は『バーチャ』において、なにが重要なのかをわかっていないんじゃない?」と思ったんです。このあたりの苛立ちってのは渋谷洋一さんが『ファミ通特別編集バーチャファイター3』ってムックで書いてるとおりで(※1)、あのタイミングで渋谷さんが『バーチャ』から離れて行ったのも僕にはよくわかるし、僕も実際にゲーム業界から離れることになりましたから。なので『4』の大ブームも『5』の存在も2年前まではまったく知らなかったんです(笑)。

――    それがいま、また戻ってきた理由というのは?

大塚     それまでいろんな仕事をしてきながらも、心のどこかでひっかかっていたのが20代前半の自分が書いた『トウキョウヘッド19931995』って存在だったんですね。それはある意味、かつてのヒット曲というか(笑)、トラウマのようになっていた時期さえあるくらいでした。ただ、震災があったりするなかで自分のこれからを考えたときに、ずっとやりたかったもののひとつである「スコアラー」たちの話を書こうと思ったんです。というのは、『バーチャファイター』に限らず、対戦格闘ブームってのは、いわゆる「スコア」の文化を終わらせてしまったところがありますから。それが『THE END OF ARCADIA』って小説なんですけど、これを書いた直後に20年来の友達であるルパン小島に「格闘新世紀Ⅵ」の話を聞かされたんです。当時の僕は「格闘新世紀Ⅵ」どころか、最新作が『バーチャ』いくつなのかもわかってなかったんですけど、「格闘新世紀Ⅵ」でちび太くんが優勝した話を聞かされて興奮したんですね。僕が知ってるちび太くんっていうのは小学生で、その彼がいまもなお現役で、そして大きな大会で初めての優勝で。そのときに「ああ…彼や『バーチャ』プレイヤーたちが歩んできた20年をちゃんと書こうかな」っ思って。そこからなにも知らない状況でBT杯行ったのかな? 2012年の。それからちび太くんやSHUくんといった顔の広い古参のプレイヤーにいろいろ教えてもらったり、大勢の人を紹介してもらって取材を始めて。最初は相当にうさんくさがられたし、いまでもそれは変わらないかもしれないけど(笑)、そんなことを気にしてられないくらい強烈な面白さがありました。勝手な物言いかも知れないけど、これは俺の仕事だと思いました(笑)。それからはできる限り、大会に顔を出すようにして、地方遠征にも同行させてもらったりして。そこまでする理由ってなんなのかって言ったら、たぶんゲームプレイヤーたちのなかで『バーチャ』のプレイヤーたちは断トツにエキセントリックだからですよね。僕はそこに惹かれるし、そんな彼らが築き上げてきた歴史を自分なりにアーカイブにしてみたい。

――    バーチャ勢というのはたしかに特殊ですね。

大塚    「『バーチャ』を強くなるためには仕事しないほうがいい、仕事しないやつのほうが強い」みたいな名言もあるくらいで、人生路頭に迷ってるプレイヤーも少なくない。そんな彼らが自分の人生とどう向き合いながらこれから生きていくのかを知りたいし、勝手な物言いですが、20年前に取材をしてしまった側の責任としてできる限り、見届けたいと思ってます。まだまだ知らないことばかりですから(笑)。最後に『バーチャファイター』のなにが凄いって言ったら、これほどのジャンキーたちを生んだってことに尽きると思います。だってそれは「それくらいとんでもなく面白いゲームだ」ってことですから。

(20周年を迎えた『バーチャファイター』へのメッセージ)
個人的にはあまり何周年だから、っていう気持ちはないんです。ただ2014という年は良くも悪くもひとつの節目だっていうのはプレイヤーのみなさんを見てて感じます。これから先のシーンがどうなっていくのかはわからないけれど、僕はただそこにある景色をこれからも見続けて行こうと思います。
(注釈)
※1 「俺が最高の烙印を心に押したゲーム。俺が信じたもの、興奮したものは、なんだったのか。笑い者の鷹嵐。ブルセラの葵。手前勝手な解釈だが、俺にとっての最高は、媚びちゃいけない。絶対にお茶らけちゃー、ならねえ。それは二番煎じや亜流やモドキにやらせておけばいいこと……じゃ、なかったのかっ!?」文:渋谷洋一/『ファミ通特別編集バーチャファイター3』(アスキー)
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