Virtua Fighter 20th Anniversary 1993-2013

バーチャファイター20周年記念特設サイト

セガ公式サイト

インタビュー

2013年12月26日

プロフィール

原田 勝弘 (株式会社バンダイナムコゲームス)

はらだ かつひろ◎ 株式会社バンダイナムコゲームス第1事業本部765連合艦隊第4戦隊プロダクション部長 『鉄拳』シリーズのゲームディレクター兼総合プロデューサー

 
『鉄拳』は格闘ゲームというより
人体制御の研究としてはじまった

――    『鉄拳』シリーズには『1』から関わられていたとのことですが、同じく対戦格闘の『バーチャファイター』は当初どんな存在でしたか?

原田勝弘(以下、原田)    僕は営業で入社していたんですが『1』の頃は既に開発にも口出しつつ、プロモーションもしつつという自由で勝手な立ち位置でした(笑)。 プロモーション部分では『バーチャファイター』の盛りあがりを参考にしつつ、プレイヤーにリングネームをつけるといったフィードバックをしたり。『鉄拳』が作られた経緯にはふたつの側面がありました。ひとつは、車にしろ飛行機にしろ、ポリゴン技術というのは今後10年20年と続いていく技術なので、そこを追求したいという部分。もうひとつは、『バーチャファイター』の影響なんですけど、人体制御っていうのをどういう風にやっているのかっていう研究ですね。なので、『鉄拳』の一番大きな目的は、格闘ゲームの出来、不出来というよりも、それらの研究の意味合いが強いので、格闘ゲームの企画としてスタートしていないんです。『バーチャファイター』のゲーム性というより作り方、あの人体制御をどうやっているのかっていうような部分を意識して作っていました。

――    作り方の部分で影響を受けていたんですね。

原田    これは20年経った今だから言える、というか僕だから言える話だけど、実は単なる影響という話ではないんです。当時の『鉄拳』と『バーチャファイター』は、ゲームの構造、人体制御のノウハウ部分で原始的な構造が似てるんですけど、これはね当時セガさんを辞めた方が何名かナムコにいらっしゃったこともあるんですよ。その人達から聞いた部分を参考に、ポリゴン人体はこうすればうまくやれるらしい、というノウハウができあがって。その人達っていうのは、主にモーションデータを作るのに長けた人が多かったので、格闘ゲームといしてのノウハウという部分ではほとんど鉄拳は影響を受けていないですけど、製作工程自体は意識したとか影響を受けたというレベルではなくて、僅かとはいえDNAが入ってますよね。 逆に、『ストリートファイター(※1)』なんかはまさに影響を受けたと言ってもよくて、レバー後ろ方向でガードだったりとか、SFチック、マンガチックな飛び道具や人間ではないキャラクターが出てきたりするのは『ストリートファイター』にインスパイアされた部分ですね。

――    『バーチャファイター』の作り方は、それまでのゲーム作りのノウハウとは違うものだったのですか?

原田    開発者視点で言うと、当時のセガさんが既にゲームエンジンっていう考え方を持っていることがすごかった。今でこそゲームデザインとベースのプログラムを別々に切り離して作業することは当たり前ですけど、エンジンとかミドルウェアっていうキーワードがない時代、ゲームデザイナーとか企画の人の細かい調整部分までプログラマーが全部組んでいた時代に、ゲームデザイナーがプログラマーと切り離して作業できるっていうのは画期的で最先端だったんですよね。我々は先ほど言ったようにセガさんのDNAが入っている部分があったので、そこに早い段階で気づけた。『鉄拳』の『1』とか『2』で少し気付いて、『3』では物凄い時間をかけて、ほぼゼロベースからフルスクラッチ で組みなおしたり作り直してようやく当時のナムコオリジナルとしての3D格闘ゲームエンジンを確立できた、という感じですね。

 
共に闘い続けるライバル関係
いつだって新しいバーチャを望んでます

――    ゲームそのもの以外で『バーチャファイター』を意識した部分はありましたか?

原田    『バーチャファイター』って、全国巻き込んでのトーナメントとか、イベントが競技として盛りあがっていた。いっぽう『鉄拳』は『1』『2』に比べて『3』では売り上げも伸びてきていたんですけど、競技性の高いイベントで盛りあがるっていう機会が少なかった。だから、『バーチャファイター』の盛りあがりを見ていて、格闘ゲームって面白いゲームや良いゲームを作るだけじゃなくて、ゲームセンターでの盛りあげを重視するべきで、そうしたことは営業に任せるだけじゃなくて、開発のサポートも含めてやらなきゃいけないんだなと学びました。ゲームセンターでのあの盛りあがりを『鉄拳』にもどうにか持ってこれないかと、すごく意識していました。

――    ユーザーの盛りあげ、という部分では『バーチャファイター4』から採用されていたネットワークサービス(「VF.NET」、現「ALL.Net」) を『鉄拳5』から取り入れました。

原田    実はああいう構想ってナムコ側でもあったんです。でも時間がかかってなかなか実現しなかった。本来は『鉄拳4』の時にやりたかったんですけど難しいということで、ネットワークサービスを使うことを前提にせず、従来のまま『4』を作りはじめていたんです。そこにセガさんからうちでやるネットワークサービスがあるんですけど『鉄拳』で一緒にやりませんかって声がかかったんです。個人的にはやりたいと思ったんですけど、他社のインフラに乗っかっていろいろなデータが採取されることに対して社内で反対の声が多くて、結局『4』の時は断念せざるを得なかった。でもその後も自社でのネットワークサービスが実現しそうもなくて、『5』のタイミングで半ば強行に社内の意見を突っぱねて実装しました。相手はセガさんで、『バーチャファイター』で、ライバルだからこそ生半可な気持ちで僕等に対して一緒にやろうなんて言わないだろうっていう気持ちもありましたし。結果、『バーチャファイター4』が大いに盛りあがったように、『鉄拳』も『5』で若い世代を巻き込んですごい盛りあがった。ALL.Netのおかげで盛りあがったら、他社のインフラに乗っかるとはけしからんとか、僕をスパイ呼ばわりしていた人達も「これからはALL.Netだ!」みたいになって、ふざけんなって思いました(笑)。今のバンダイナムコゲームスのアーケードゲームには当たり前のようにALL.Netが実装されてますよね?あの時鉄拳プロジェクトがこの決断を下していなかったら何年立ち遅れていたことか。

――    ユーザーからすると、ライバル関係にあるタイトルという認識が強いと思うのですが、意外とともに歩んできたようなイメージですね。

原田    まさに共闘、という感じですよね。切磋琢磨という言い方もありますけど、それ以上にバーチャと一緒にこのジャンルで業界を引っ張っていく、アーケードを盛りあげるんだというつもりでやっていました。『鉄拳』の開発の人達は『バーチャファイター』の開発の人達とは考え方も違うし、バーチャを倒そうくらいのつもりでやっているんじゃないかって言われることも多いですけど、他の格闘ゲームも含め、周りのタイトルが盛りあがれば我々も盛りあがるっていう構造ができていたのもあるし、みんなヒットしてくれって願ってましたね。家庭用と違ってアーケードの面白いところだと思うけど、格闘ゲームコーナー、ビデオゲームコーナーっていうシェアをみんなで守っていかないと、ゲームが売れないし盛りあがらないんですよね。同じジャンルのタイトルがなくなってしまうと、「そのジャンルを独占できる」ではなく、「そのジャンルのシェアが減る」んです。だから、『鉄拳』チームは早く新しいバーチャでないかなって言ってますよ。

(20周年を迎えた『バーチャファイター』へのメッセージ)
20周年おめでとうございます。『バーチャファイター』が変えたものっていうのは、本当に大きかったと思います。あれがなかったら、僕自身のやっていたこととか、作っていたものって全然違ったんだろうなって思いますし、プレイヤーや開発者、いろいろな人の人生を変えるほどの影響を与えていることってすごいことだなと思います。その『バーチャファイター』が20年ということで、これからも我々の3D格闘ゲームというジャンルのリーダーとして、20周年を機に新しいバーチャファイターを見たいです。それはプレイヤーの願いでもあり、格闘ゲームを作っている開発者としての一番の願いなので、ぜひよろしくお願いします。
(注釈)
※1 1987年に稼動開始の対戦格闘ゲーム、およびこれを第1作とする対戦型格闘ゲームのシリーズ
このページのトップへ戻る